1951年11月23日に公開の映画「めし」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「めし」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
めしが視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
めしのあらすじ
大恋愛の末に結婚した岡本初之輔と三千代。慎ましい暮らしを送るうちに、やがて夫婦の間には衝突が増え、すれ違いが生まれていく。そんなある日、家出をした姪の里子が東京から戻ってくる。奔放な性格の彼女は、夫婦の生活にささいな波紋を投げかけ、二人の関係に新たな風を吹き込むのだった。
めしの詳細情報
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原作者 | 林芙美子 |
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監督 | 成瀬巳喜男 |
出演者 | 上原謙 中北千枝子 二本柳寛 原節子 大泉滉 小林桂樹 山村聰 島崎雪子 杉村春子 杉葉子 浦辺粂子 瀧花久子 田中春男 立花満枝 花井蘭子 谷間小百合 進藤英太郎 音羽久米子 風見章子 |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | 日本 |
公開日 | 1951年11月23日 |
上映時間 | 97分 |
めしを無料で見る方法は?
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感想・レビュー
結婚五年目の倦怠期を迎えた夫婦が、家出した姪の来訪を通じて、自分たちの関係や幸福について再評価する物語。
三千代は、旦那に「めし」を炊くことだけを求められたり、姪を過剰に甘やかす夫に問題がある。一方で、彼女が夫に対する不満や姪への嫉妬を言葉にすることができず、フラストレーションをため込んでいる点にも問題があるといえよう。
三千代と姪の行動には常に不快感が漂うが、それは「自分は他者に配慮してもらうのが当然」という傲慢な思い込みが根底にあるからだ。三千代の義弟が姪に対して言った、「感情を他人に無意識に押し付ける人は大嫌いだ」という言葉は、感情の共有と配慮を強く求める女性たちへの厳しい批判となっている。
結局、三千代は再び「めし」を炊く日常に戻る道を選び、それが女性としての幸せだと結論づける。しかし離婚せずに自立を選ばない点に、当時の女性としての限界が見える。現代の視点では、三千代や姪のような寄生的な生き方ではなく、戦争で夫を失いながらも一人で息子を育てている三千代の旧友の姿こそが尊い生き様といえる。
成瀬監督らしい「声を荒げない痛み」が映画全体を染め、観終わった後も胸の奥がじんわり温かく、かすかな切なさが残る名作だ。
あらすじは、戦後の大阪を舞台に、平凡な夫婦の倦怠と孤独、そしてささやかな愛の再生を描く。専業主婦・三千代(原節子)と会社員の夫・初之助(上原謙)。愛はまだ消えていないはずなのに、言葉にできない寂しさが二人の間を漂う。そこへ若い姪・雪子が上京してきて、家庭の均衡が少しずつ崩れていく。
原節子の演技は、静かな表情の中に揺れる感情の繊細さが際立つ。台所でひとり鍋を見つめる場面、夕暮れの街を歩く後ろ姿には、言葉以上の生の孤独が宿る。一方、上原謙の淡々とした夫の演技も絶妙で、不器用な優しさが現実味を帯びる。互いにぶつかり合わずともすれ違っていく距離感は、痛みを伴いながらも真実味を持つ。
「愛は、言葉にしないと届かないことがある。でも言葉にした瞬間に壊れてしまうこともある」成瀬巳喜男の核が、この『めし』には静かに息づく。湯気の立つご飯のように、暖かく、淡い名作だ。
エピソード
結末の曖昧さをめぐる論争。公開時には結末の不明瞭さが批評の対象となった。本作は原作の林芙美子が未完で、脚本家の田中澄江と成瀬が結末を補って完成させた。夫婦は再び暮らしを始めるが、すべてが解決したわけではない。その曖昧さこそが、成瀬的リアリズムの端緒として後年高く評価される。
映画タイトル「めし」の裏意味。「めし(飯)」という平凡な題名には、成瀬の皮肉が宿る。戦後の女性が「夫のためにご飯を作る」という日常の中にこそ、最も深い孤独と愛情のドラマが潜んでいる。めしは、愛と義務、幸福と倦怠そのすべてを象徴する言葉だった。
「本当に大恋愛をしたの?」という日常がある。それにしても、旦那が何もしていないなんて、時代の違いがあまりにも大きい。「ご飯はまだ?」という一言に、どれだけの女性が苦しんできたのか。そして、こんな時代でも里子のような人がいるのだろうか。結局、男性は自信があるように見えて、実際はとても繊細だ。そんな男性のそばにいることが、女性にとっての幸せではないかと思う。当時の人々にどのように受け取られたのか、とても興味深い。
成瀬ちゃんと一緒に観たことがなかったので。
大したことが起こらないのに面白く見せるのはさすがだけれど、ナレーションに頼っている部分が多いのが、逆に今の時代を感じさせる印象がある。結論も時代を反映しており、窓からゴミを捨てるシーンなど、今観ると少し驚く点が正直いくつか存在する。
ひょうひょうとした旦那さんだよね。旦那の稼ぎは多くないのに、それでも周りから「幸せな奥さんだよね」と言われて、なんだか居心地の悪さを感じる場面が増える。私、2500円も使っちゃった〜って原節子がはしゃぐ。日々の節約に疲れてたんだよね。たまには発散しないとね。
戦後間もない日本の姿を垣間見るたび、深く考えさせられる。女性の生き方がほぼ一択だった時代。あの結末は、やむを得なかったのだろう。現代を生きる自分の恵まれた環境を、改めて噛み締めたい。
2025年9月30日 観賞
何度目だろう?
成瀬作品のハッピーエンド!
小津映画の原節子とはかなり異なる印象を受けるが、最後に「こういうのが女の幸せ」という独白が入るのは余計に思える。姪っ子の方が林芙美子の雰囲気を持っている気がする。
この種の映画は初体験だったが、星4.0に十分値する完成度だった。日本映画を積極的に観てこなかった私が、たまたまNHK BSのシネマ番組のリストでこの作品を知り視聴。番組情報には、巨匠・成瀬巳喜男監督が原節子と上原謙を起用し、林芙美子の未完の小説を映画化したと記されていた。軽い気持ちで再生したのに、予想以上の感動だった。原節子、上原謙をはじめとする俳優陣の演技も抜群。古き良き日本映画の世界観が、相手を思いやる心や凛とした意地を繊細に描き出し、不思議な美しさと静かな感動を生んでいた。次は浮雲を観ようと思う。
この『断崖』に続く悪魔の行いはさておき、引き戸と座布団は映画の雰囲気を損なう間違ったライフスタイルだ。座椅子は手放すべきだ。ちゃぶ台も捨てるべきだ。靴を履こう。