2023年6月9日に公開の映画「逃げきれた夢」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「逃げきれた夢」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
逃げきれた夢が視聴できる動画配信サービス
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逃げきれた夢のあらすじ
北九州で定時制高校の教頭を務める末永周平は、ある日、元教え子の南が働く定食屋で無言のまま支払いをせずに立ち去ってしまう。記憶が薄れていく症状に苦しみ、かつてのように生活することが難しくなっているようだ。「これまで」の日々は本当に素晴らしかったのだろうか? 妻の彰子との関係は冷え切り、一人娘の由真は父よりもスマホの方が楽しそうだ。旧友の石田との時間も、まったく大切にしていない。「これから」のために、「これまで」を振り返る周平がいるが――。
逃げきれた夢の詳細情報
「逃げきれた夢」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
逃げきれた夢の公式PVや予告編動画
「逃げきれた夢」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
逃げきれた夢を無料で見る方法は?
「逃げきれた夢」を無料で視聴するなら、「DMM TV」「Prime Video」「Lemino」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
感想・レビュー
定年が迫る定時高校の教頭の悲哀を描く舞台作品。光石研さんに向けて書き下ろされただけあって、戯曲のような構成で、まるで光石研さんの一人芝居のように感じられる。奥深く、非常に興味深い作品だった。
タイトルには不思議さがある。普通、夢は追い求めるものだが、この作品で語られる夢は別の意味を帯びている。
この夢とは「親の夢」、すなわち期待のことだろう。まだ人格が定まらない若い頃に親の期待を一身に受けて生きると、自分の意思だと思い込んでしまう。たとえそれを背負いきれなくても。埋め込まれた親の意思が、土台となる本質に刻まれていく。
さらに、仕事もまた、見えない親の手が選択を後押しする。無意識のうちに。
人生の長い職業人生は、さらに土台となる人格の本質を強化していく。
「なりたいようになる」のではなく、「ならざるを得ないようになる」。自分の意思があったとしても、逃れられない。
おそらく厳父は校長だったのだろう。厳父の操り方によって、同じ教師の道を選んだとしても、好きでない父親のようになりたくないという思いを、反面教師として生きてきたのではないか。
親に反発するだけでは、自分の意思を育てられなかった。父を正面から否定できない、空っぽの悲哀だ。厳父から逃げ続けた惰性の反復が、やがて自分の意思を消してしまう。
教え子の平賀は、人目を気にせず正直に自分の意を伝える。自分の思うようにはいかなかった娘にも見えるし、もう一人のタラレバの自分でもある。生徒や他人を否定せずに生きてきたが、自分の土台となる父親と向き合えずに生きてきた結果、父と自分を分けて考えることができなくなっていた。否定しないことは、積極的肯定とは別物であり、責任の放棄にもつながり得る。
果たしてそれは再生と呼べるのだろうか。病の有無は関係ない。
父が家にいる時間が少なくなり、弱っていくのを見て、ようやく自分を振り返ることができた。父を失えばアイデンティティを喪失するように思えるそんな不安を抱える。
教育には、相手の意思を変える力がある一方で、転んでも自分で立ち上がる力や自分で考える力を養う役割もある。言葉の力は強い。こんなにも強い無気力を帯びた言葉を、これまで耳にしたことがない。
初めて一人で立ち上がろうとしているのかもしれない。
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定時制高校の教師が定年を目前にして人生の迷いに直面する、そんな物語。光石研を観るつもりで観賞したが、派手さはなく地味な印象で、音楽もほとんど流れない。カット間も長く、見ているうちにいつの間にか終わってしまう感覚がある。終わり方が「気付いたら終わる。それが人生なんだ」なのかと考えてしまうが、個人的にはそう単純には捉えられない気がする。
端的でガツンと来る分かりやすいタイトルが好き。『逃げ切れないんだよね』っていう強い感覚、たまらない。松重豊の圧倒的な存在感には目を見張る。簡単には人に靡かないクールな犬・コタロー。かわいくて孤高だ。#犬
あらすじとポスターの雰囲気には、かなりのギャップを感じた。本編は、心の内にあることを言葉にして表す場面が多く、情けなくもどかしくてイライラし、取り繕って寄り添ったかと思えば急に梯子を外されるそんなリアルで人間味あふれる感情の時間に、ストーリー以上に気持ちの面で強く引き込まれた。光石さんの表情もまた印象的だ。心がモヤモヤするときに、どこか寄り添ってもらえるような作品だ。
人に対して関心が薄く、面倒ごとを避けてきた中年のミッドライフクライシス。のらりくらりとした演技の光石研も悪くないが、荒々しい存在感の松重豊もまた魅力的だ。
監督の得意とも言える表情の乏しい人物が終始歩き回る本作でも、主人公はひたすら歩き続ける。ただ、今までとは異なり、光石研が演じる主人公はぶっきらぼうで不機嫌そうではない。映画内ではあまり語られなかったが、決して彼が善人とは言えない。だからこそ、主人公の少し外道な部分をもう少し見たかった。
うーん
前半は良かったけど、うどん屋で女の子と出会うあたりからペースが落ちて退屈だった。ラストにももう一押し欲しかった。悪くないけれど、少し物足りない感じだ。
その場で考えることを、全力でやり切るだけ。後悔してもしなくても、それは長い時を経ても変わらない。『ほんとに思ってる?』と自問するように、本心と建前を使い分けることへの違和感を、感じていかなくてはならない。監督と光石さんの演技が生み出す、映画独特の空気感が素晴らしかった。
若年性認知症を抱える主人公が自分自身と向き合う物語。身近な人には症状を隠す主人公が、感情を家族に思わず表すシーンが心に残った。特に大人になった娘に高く舞い上げてもらいたいと懇願する場面には涙が止まらなかった。また、二ノ宮監督の作品に出ている時は嬉しくて、最近では『べいびーワルキューレ』のドラマ版で面白い声を披露し、思わずお腹がよじれるほど笑った。
これは本当に映画なのかと思うほど、光石研が演じる中年男性が「ただそこにいる無害なおじさん」としてすごい存在感を放っています。
年頃の娘に嫌われたくないと思いながらも何かを伝えたいという気持ちが、娘には違和感や気持ち悪さとして映り、余計に眉間に皺が寄る姿が印象的です。これは自分の過去とも重なります。
「まぁ後悔しないことをやっていくだけよ。してもいいか。」
おそらく台本にはそれだけのセリフが書かれているのでしょう。
この言葉を発する主人公の背景や思考、その語り口のボリュームや強さ、間の取り方、言葉以外の表現方法に想像力がかき立てられる。そのため、私は邦画の魅力を改めて実感しています。