1972年10月21日に公開の映画「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ハロルドとモード/少年は虹を渡るが視聴できる動画配信サービス
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ハロルドとモード/少年は虹を渡るのあらすじ
死に取り憑かれた19歳の少年ハロルドは、度々自殺を偽装して両親を驚かせていた。そんなある日出会ったのは80歳のおばあちゃん、モード。日々を謳歌するモードの生き方に心を動かされたハロルドは、やがて彼女を愛するようになるが…。
ハロルドとモード/少年は虹を渡るの詳細情報
「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ハル・アシュビー |
|---|---|
| 脚本家 | コリン・ヒギンズ |
| 出演者 |
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| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | アメリカ |
| 公開日 | 1972年10月21日 |
| 上映時間 | 92分 |
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ハロルドとモード/少年は虹を渡るのよくある質問
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Q映画『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』のあらすじを教えてください。
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A
『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』は、死に魅了された若者ハロルドと、自由奔放な老婦人モードの奇妙な友情を描く物語です。彼らは共に様々な冒険を通じて、人生の意義や生きる喜びを再発見していきます。
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Q『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』の主要なテーマは何ですか?
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A
この映画の主要なテーマは、年齢を超えた友情と人生を前向きに生きることの大切さです。死という重い問いを背景にしつつも、ユーモアと温かさを持って生を肯定的に描いています。
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Q『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』の監督について教えてください。
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A
『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』は、アメリカの映画監督ハル・アシュビーが監督しました。彼はスリリングかつ心温まる作品で知られ、1970年代のアメリカ映画界に多大な影響を与えました。
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Q映画『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』におけるハロルドのキャラクターの魅力は何ですか?
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A
ハロルドは死に対する異常な関心を持つ若者ですが、人生への新たな視点を求めている姿が魅力的です。彼の変化を見守ることで、観客は彼がいかに自分自身を解放していくかを感じることができます。
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Q映画『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』の音楽の特徴を教えてください。
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A
この映画の音楽はキャット・スティーヴンスが手掛け、彼の楽曲が作品全体を通じて用いられています。音楽は登場人物の心情を豊かに表現し、作品の持つ独特の雰囲気を一層魅力的なものにしています。



ハロルドとモード/少年は虹を渡るの感想&レビュー
Harold and Maude(1971/ハル・アシュビー)は、死の稽古と生の即興を交互に置く、反教養小説的コメディである。若者ハロルドの停滞を老女モードの運動で撹乱し、黒いユーモアがやがて淡い肯定へと転調するまでの調律を聴かせる。
文芸批評「死の稽古と生の即興:反ビルドゥングスロマン」
成果|儀礼のカタログを転調で並べ替える
葬式めぐり、見合い、軍隊ごっこ、精神分析上流的な作法と公的儀礼がハロルドを固定化する一方、モードは即興の連鎖(車を奪う/木を移植する/音楽で踊る)で世界を流動化する。繰り返される死の演出は死の稽古として物語を逆回しにし、崖で自傷の演劇が未遂に終わる瞬間、ハロルドは生を自分の手に取り戻す。改造ジャガーやヒースの花、バンジョーといった象徴的な小道具の配置も緻密だ。
限界|トリックスターの過度な純化
モードは魅力的だが、語りの都合の良さを支える案内人として設計されがちで、彼女自身の悔恨や沈黙は断片提示に留まる。ホロコーストを示唆する刻印のショットは強いが、装置的記号へ収束しやすく、人物としての揺らぎの厚みがもう一歩欲しい。
ハロルドが死に方を演じ切る瞬間にこそ、生き方の余白が現れる。
社会批評「順応の作法と逸脱の速度:上品さという装置」
成果|上品さの外装を暴く
見合い面接、軍人の伯父、精神科医整った外観が生の呼吸を均し、逸脱を逸話へと押し込む環境を描く。モードはその外観に速度を与え、奪う、ずらす、笑わせる。木を掘り起こし灰色の都市から水のある場所へ移す場面は、都市の表土から目に見えない根を救い出す小さな政治として機能する。ハロルドの母の良識は彼の感情の翻訳不能を鋭く炙り出す。
限界|甘美な無害化と陰影の薄さ
逸脱の愉悦は確かだが、法や常識との摩擦はときに甘く和らぐ。年齢差の非対称性、盗難や破壊の後始末、他者の視線の重さといった陰影は薄く撫でられ、物語は優しい勝ち方を選ぶ。批評の針は刺さるが、刺さったままの時間は短い。
品位は息の浅さの別名。風穴を開けるのが、この映画の笑いだ。
映画批評「軽いカメラ、長い歌:レイト60sの残響を編集する」
成果|音楽が世界のテンポを与える
キャット・スティーブンスの楽曲群が物語の脈拍を担い、モード登場以降、画は音のテンポへと同期する。アシュビーは過剰な接写を避け、水平構図と長尺のショットで余白を作り、死の演出を乾いたギャグとして反復する。軍人伯父の義手敬礼や改造ジャガーのシルエットなど、小道具のタイミングが笑いと批評を同時に生み出す。終盤、崖からの落下の演出を外し、独奏のバンジョーへと繋ぐ断ち切りは、メロドラマの回路を回避する。
限界|周囲の人物配置が舞台的に平板化する
ハロルドとモードの閉じた親密圏の輝度が高いため、周囲の人物配置が舞台的に平板化する場面が生まれる。音楽が感情を先導しすぎて意味の揺れを削ぐこともある。映像の粗さや偶発のざらつきは抑えられる傾向だ。
それでも、バンジョーの一筆書きが彼の未来を具体化する。
総括「死の劇から、生の習慣へ」
本作の強みは、(1)死の稽古と生の即興を交互に置く反教養小説的設計、(2)上品さという外装を笑いと速度で剥がす観察眼、(3)音楽・小道具・水平構図で整えた軽やかな運動性。限界は、(A)モード像の純化、(B)逸脱の無害化、(C)音楽主導による意味の均し。ハロルドは正解には到達しない。代わりに日常のテンポを手に入れ、それがこの映画のやわらかな革命となる。
関連性の強い作品(短評つき)
The Graduate(1967/ニコルズ):順応と逸脱の綱引き。年長者との関係が若者の惰性を露呈。
Rushmore(1998/ウェス・アンダーソン):奇妙なロマンスと校風の滑稽。アシュビー的乾いた感情の系譜。
Being There(1979/アシュビー):無垢の装置が社会を撹乱する。静かなナンセンスが政治に触れる別解。
Ikiru(1952/黒澤明):死を起点に日常の手続きへ向かう反転。生の習慣化を硬派に。
Amélie(2001/ジャン=ピエール・ジュネ):小さな介入で世界を変える善意の速度。軽さの効能と盲点を比較できる対照作。
こんなにも胸に刺さる喪失感の描写はこれまでなかったが、ペットの話じゃないんだから「虹の橋」は安易には使えない。いまの彼はフレディ・ハイモアを思わせる超童顔だが少年とは呼べない。老いを十分に感じ、理解しつつも気持ちや生き方を変えずにいられる人は、男女を問わず尊い。勇気というより腹を据えた意外性のある行動(ラピュタのドーラを思い出した)も魅力的だし、言葉の重さや説得力は、若い女子やお母さんとは違う。腕に刻まれた過去の痛みを見せられたら、恋愛感情はともかくとしても気になって仕方がない存在になる。「いやだよこの子は(パーン!)」より「高校時代に戻ったみたいよ」のほうがぐっとくる。そんなふうに歳をとれたらいいのに
舞台化された原作をもとにした鑑賞体験。1970年代。裕福な家に生まれた19歳の青年ハロルドは、厭世的で、親が勧める縁談にももうんざりしている。対照的に79歳のモードは高齢でありながら好奇心旺盛、人間性を謳歌している。そんなモードにハロルドは恋心を抱く。\n\n戦争の記憶も遠く、金銭的な不安もない家に育ったハロルドは、モラトリアム気味の生活を送る。良家に生まれた悩みもあるだろうが、死に憧れるのは平和の裏返しなのだろうか。\n\nモードの明るさと破天荒さには驚かされるが、一度きりの人生を自分らしく生きる彼女の姿には潔さを感じる。\n\nただ、長く生きているモードには過去に忘れられない悲しみがあり、取り戻すことはできない。腕にはユダヤ人収容所の印が刻まれている。ハロルドはそれに気づいているのだろうか。\n\n長く生きて大切な人を見送る生活は、果たして幸せなのだろうか。ハロルドがモードに触発されて生に目覚めていくのは良いことだと思うが、拭いきれない過去には勝てないのだろうかそんな問いが胸に迫る。
若者らしい希死念慮を抱えるハロルドと、明るく自由なばあちゃんが出会い、ハロルドは恋に落ちる。
年齢差を超えた性愛なしの愛情や友情が心地よく、楽しんでいると、いつの間にか身体の関係を持っていて驚いた。
湿度が低いためか、それほど嫌ではなかったが。
泥棒は否定できないが、所有物を自分のものだと思うからこそ執着してしまうのよ、という言葉には共感した。
軽やかに生きるための素敵な響きだ。
真剣な自殺願望に戸惑うハロルドだが、きっと彼はこれからも生きていけるはず。
19歳の少年ハロルドは自殺を繰り返し、80歳の破天荒なばあちゃんモードが窃盗を楽しむ二人が偶然出会う。見知らぬ人の葬式で結成されたこのコンビは、霊柩車や盗まれた車を駆使して、自由気ままに暴れ回る!
この作品は洗練されたブラックコメディであるだけでなく、豪快なカーアクションや深いラブストーリーの要素も持っている。そして「生きろ!」と力強く訴えかける感動的な人間ドラマでもある。
演出は非常に巧妙で、オープニングクレジットでは思わず「あっ!」と声を漏らし、エンディングでも予想外の展開にまた「あっ!」と思わせられた。恐怖から始まり、感動的な結末に至る素晴らしい映画体験を提供してくれる。
ハロルドの自殺の手法は多彩で、完成度も高く、何度も「今度こそ死んだ!?」と驚かされる。その感覚が後の展開にちゃんと繋がっているのも見事だ。
特にモードおばあちゃんが盗んだ車で走り回る姿は爆笑必至。白バイ警官とのやり取りは何度も観返したくなるほど面白かった。演じるルース・ゴードンは、『ローズマリーの赤ちゃん』の恐怖を振りまくババアそのもので、これで彼女の存在をしっかり覚えた!
ハロルド役のバッド・コートは初めて観たが、その「童顔」には驚かされた。まるで10歳前後の子供のように見えた。
キャット・スティーヴンスの音楽も印象的で、シーンやテーマとの関連をぜひ知りたいところだ。
U-NEXTで気軽に再生したところ、傑作に出会ってしまった。以前から気になっていた監督ハル・アシュビーの作品を、これを機にもっと観たいと思う。
狂言自殺を繰り返す真っ白な少年と、まもなく80歳になるおばあさんが葬式で出会う。
見事な芸達者な青年だ!
おばあさんの顔をしているが、行動は驚くほど機敏だ!
車の運転も素晴らしい!(吹き替えでの話だけど)
80歳のお誕生日、おめでとうございます!
本当に幸せそうなおばあさんだ。
72年前、そんな便利な薬があったのだろうか?
驚きだ。
私も欲しい!
邦題は「少年は虹を渡る」だ。
少年ハロルドは母親に見せつけるための嘘の自殺を繰り返す。オープニングの首吊りの場面は圧巻で、顔を映さず死へと向かうハロルドを細身のスーツ姿で撮影するため、観客は大人の男性だと思い込むが、実は少年だった。
しかし母親が部屋に入ると、青白い顔で首を吊るハロルドに気づかず、仕事の電話をかけながらその場面を映している。やがて状況の異常さに彼女は気づく。ここで、これまでの狂言自殺が繰り返されてきたことが明らかになる。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲が流れる中、自宅のプールで母親が優雅に泳ぐ。水面にはハロルドの水死体が浮かぶ。ブラックコメディの色合いが濃く漂う瞬間だ。
ハロルドが繰り返す自殺の嘘は、母親からの無条件の愛を得られず、愛着障害が原因だと読み取れる。仕事と私生活に忙しい母親は、ハロルドをしっかりと見ていない。
見合い相手がハロルドに質問する場面も、彼が自分で次々と答えることで生まれるユーモラスな場面として描かれる。
母親から満たされない愛をモードは与えてくれた。モードは心に傷を抱えながらも、80歳になるまで心のままに生き抜く。葬儀に参列し、車を盗んで暴走し、元気のない街路樹を森へ植えるなど、年齢差を超えて二人は恋人になる。
モードは自分の死を自分で選ぶ。80歳の誕生日に服毒自殺を遂げた。モードの死を悼んだハロルドは崖から車ごと落ちようとするが、車から逃れて生を選ぶ。
死を扱うことは、結局どう生きるかを突きつける。
死んだふりをする若者と、自由奔放なおばさまの恋愛ストーリー。音楽と美しい映像のおかげで、物語はさらにハートフルに彩られた。
ハロルドの死への執着と、自由奔放で生き生きとしたモードを通じて、自由な精神と死生観の哲学を描写している。
初公開時は「奇妙だ」「不快だ」と受け入れられずヒットしなかったが、後に大学生らを中心に人気が高まり、長期間リバイバル上映されるようになった。舞台版やミュージカル版も制作され、現在も時折上演されるカルト的作品となっている。
着物、折り紙、扇子などの小道具やハラキリごっこ、ユスフ・イスラムの音楽は、仏教的な無常観や執着を手放す生死の一体感を反映している。
二人の関係は親友や師弟に留まることも可能だが、微妙な恋愛要素がこの映画の哲学や余韻を生む重要なスパイスとなっている。
当時の社会背景とキャラクターの魅力が絶妙に融合し、寛容で許し合う大らかな空気を醸し出している。余白の具合も絶妙だった。
敬老の日を前に、以前から録画していたこの映画を観ました。
うーん、不思議な作品でした。特に誰にも共感できず、また共感させてもらえずに終わったというのが正直な感想です。
ただ、劇伴は非常に良かったです。
自分が80歳になって観たら、きっと違った感想を抱くのではないかと、なんとなく感じる映画でした。
モードがとても独特で笑ってしまう。
ウェンズデーを思い起こさせるハロルドも魅力的だ。
素晴らしいラストシーンだった。