2018年9月14日に公開の映画「愛しのアイリーン」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「愛しのアイリーン」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
愛しのアイリーンが視聴できる動画配信サービス
現在「愛しのアイリーン」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「愛しのアイリーン」が配信中です。
動画サービスPR | 利用料金 | 視聴 |
---|---|---|
|
今すぐ見る | |
|
今すぐ見る | |
|
今すぐ見る | |
|
今すぐ見る | |
|
今すぐ見る |
愛しのアイリーンのあらすじ
寒村の地。岩男が久しぶりに帰省したその日は、父親の葬儀が行われていることすら知らなかった。しかも、フィリピンで出会った嫁アイリーンを連れていたのだ。42歳まで恋愛とは無縁の人生を送ってきた岩男に、アイリーンは無邪気に寄り添う。騒がしい参列者たちの背後から現れたのは、ライフルを持つ喪服姿の母親ツル。今、恐怖の訪問が始まる。
愛しのアイリーンの詳細情報
「愛しのアイリーン」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
愛しのアイリーンの公式PVや予告編動画
「愛しのアイリーン」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
愛しのアイリーンの楽曲
「愛しのアイリーン」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- メインテーマ水面の輪舞曲STRANGE REITARO
愛しのアイリーンを無料で見る方法は?
「愛しのアイリーン」を無料で視聴するなら、「DMM TV」「Prime Video」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
感想・レビュー
ヤスケンが好みそうな脚本だと思います。この映画を前編と後編に分けるなら、前半のテーマは搾取、後半は生命についてでしょう。お金を目的とした結婚は売春と同じで、金を使う側は愛や性的サービス(サービスとは言えない)を搾取し、金を得る側は身体を使って搾取します。女性の視点から見ると、アイリーンは圧倒的に搾取される側ですが、映画の中でヤクザはアイリーンも「搾取する側」だと指摘していました。このような搾取の関係が幸せを生まないことがしっかり描かれていて良かったです。大金を積んで得た愛(結婚という名義の売春に近いので愛とは言えませんが)、たとえ瞬間的に愛を感じられたとしても続かないでしょう。金を払えば払うほど、相手が期待に応えてくれないと腹立たしいものです。300万もかけたら後には引けませんからね。自分は他で関係を持つくせに、アイリーンが他の男性と話すだけで怒るのも、金をかけたからこそでしょう。無駄になってしまいますからね。岩男がアイリーンに真剣に対応していたのは「フィリピンに返したい」と言ったシーンだけで、それ以外は性欲や支配欲から来たものだと思います。岩男はアイリーンを愛していなかったのです。英語もフィリピン語も学んでいない自分には、アイリーンの思いは読み取れません。タガログ語で必死に訴えるアイリーンを「何を言っているかわからない」と突き放すことがその証でしょう。日本はフィリピン女性を性的に搾取しています。田舎にはフィリピンパブしかなく、日本語も話せない若い女性を大金でフィリピンから連れ出し、教育もせず、ただ性的サービスを求めるこの結婚が幸せであるとは思えません。それは映画だけでなく、現実の日本でも見られます。フィリピンに児童売春しに行くことが炎上した事例もありましたよね。また、フィリピンの人々も金がなくて子供を売るしかない。アイリーンは家族から愛されていたと思いますが、お金のために娘を異国の男性に売り、その背後には愛というものがあっても、結局は搾取の一環であると言えます。アイリーンはどこに行けば幸せになれるのでしょうか。日本人がフィリピン女性を性的に搾取し続ける限り、アイリーンは金のために売られ続けるでしょう。余談ですが、田中要次はただのお見合いセッティングディレクターのように感じましたが、成立したカップルの個別の家まで訪れ、通訳をして婚礼の写真まで撮るなんて手厚いと思いました。お見合いの場で初めてアイリーンが出てきて岩男に寄り添うシーンは愛らしかったです。ヤクザがアイリーンに執着していた理由が「母に似ているから」というのが少し良かったです。この二人の関係をもっと見てみたかったですね。ただし、暴力でアイリーンを奪っても、彼女は幸せになれないでしょう。日本の男性が求めたから日本に来たのに、周囲の人々からは拒絶される。そんな環境で育っていたら、フィリピン女性を搾取する日本男性を恨むようになるのも無理はありません。暴力やヤクザは良くないですが、私はこの男のキャラクターが結構気に入りました。寺の僧侶がニコニコしながら般若心経をアイリーンに教えていたのも微笑ましかったです。本当の愛に繋がったのかは分かりませんが。ヤクザを射殺した後、テーマが「生命」に変わったような気がします。以前、誰かが「手術後に生命を感じて興奮し、セックスやオナニーをする医療関係者がいる」と言っていましたが、本当かどうかはわかりません。人を殺した後、生命を感じて興奮して二人はセックスしたのでしょうか。また攫われた自分を助けるために人を殺してくれたという思いもあると思います。人を殺した後の岩男は余裕がなく、性行為を求めました。殺した感覚を快感で上書きして、一時的に忘れたいと思ったのかもしれません。人を殺したという告白を受け入れ、身体を許す女性も、自分に打ち明けてくれたことが嬉しかったからかもしれませんし、母性があると言えますね。(母性?)自分の子供を放置し、大きな子供とセックスをするかのように可愛がっているかのようでした。そして岩男が死んだ後、自殺しそうになる女性が「わからないけどたくさんセックスしたから赤ちゃんがいる」と言ったシーンでは、帰ろうとする彼女の表情が印象的でした。自分の出産を思い返し、息を引き取る瞬間、あんなに自分の息子を奪った女を許せないという思いもありつつ、急に手のひらを返す姿が生命の神秘を感じさせます。自分の血を引く子供の存在はやっぱり特別なんでしょうか。岩男が8歳までおっぱいを飲んでいたというのには驚きました。小2ですね。この映画で描かれた「愛」は親から子へ、子から親への愛だけだったと思います。ババアは岩男を愛していたからこその行動だと思いますし、ヤクザは母を愛していたからこそ、母に似たアイリーンに執着していたのでしょう。ババアもアイリーンが血の繋がった孫を持つかもしれないと思った瞬間、手のひら返しをしたのでしょうね。結婚とはそういうものなのかもしれません。制度で家族になるとしても、結局は他人なのです。しかし血の繋がりはやっぱり特別なのかもしれません。雪景色は美しかったですし、岩男は終始怖かったです。人が横で寝ているときにオナニーしてはいけません。神社の木にナイフでアイリーンの名前を彫ってはいけません。福士くんと伊勢谷友介、安田顕の顔がかっこよかったです。また観るとしても、福士くんと伊勢谷友介のキャラクターを見たくてだと思います。でも色々気になる部分が多いので原作を読もうかな。
2時間も画面に釘付けになった。とても気分が悪くなった。登場人物全員が嫌いで、善良な人はいなかった。田舎の人間関係の複雑さが印象的だった。リアルさも際立っていて、興味深かった。
人を愛すること
時にはドロドロとして触れるのもためらわれるような気持ち悪さを伴うかもしれない。愛の形は環境によって変わるものだ。
それでも、不確かな愛という存在を強く感じることがある。
岩男の優しさは愛であり、アイリーンの笑顔も愛だ。
ババアが息子のために向けた銃口越しの表情もまた愛である。
人の道と愛の道は時に分かつことがある。
性行為や金、優しさは愛の飾り物に過ぎない。
愛という化け物の口紅である。
情を捨ててしまえば、もっと合理的に生きられるはずなのに、心で生きることの美しさに魅了されてしまう。
人を愛することは美しいのかもしれない。
それは他人でも自分でも、家族でも構わない。
縁あって出会った知らない人でも良い。
人の道と愛の道は再び合流することも可能だ。
愛と道理を結びつけるのは知識である。
出会いが少なく、愛についての理解がなくてもいい。
人間やその作り出したシステムを知識として持つことで、愛に遭遇した時に無条件に人生を捧げなくて済む。
売春や人身売買、結婚や永久ビザなど、様々な事情があるが、人間の未熟さゆえに社会にはそれらに関するルールが必要だった。そして、そのルールを利用する人々は未熟なままである。
どちらが先でも構わない。
愛が生まれていても、これから探そうとしても、未熟な人間のためのルールを知ることで、愛もまた操れるようになる。
アイリーンは言葉からの学びが大変かもしれないが、少しずつ学んで、幸せになってほしい。
これほど騒々しく生々しい映画を観たのは初めてだ。
安田顕と木野花の素晴らしい演技が印象的。
いい意味で度肝を抜く展開だった。最初は、この人物の性的欲望の強さが、ただのインパクト作りのためだけだと思っていたが、実は最後にはおばあさんを救うためだったとは。山中でのラストシーンは圧巻で、忘れられないクライマックスだった。
この映画は不穏な空気をまとい覚悟して観たが、予想以上に強烈には心を掴まれなかった。岩男の異常な性欲の強さは謎として残る。深いこじらせが背景にあるのかもしれない。汚れきった小さな田舎町の中で、アイリーンの純粋さだけが光を放つ。絶対に幸せになってほしいと願わせる、希望を感じさせる一本だ。
吉田恵輔監督の新作をじっくり味わう。安田顕が主演を務めるポスタービジュアルのインパクトは強烈で、作品全体に漂う異様さが観客へダイレクトに伝わってくる。観終わると、期待通りのぶっ飛んだ展開と独特のユーモアが光り、かなり楽しめた。特にアイリーンが登場するシーンは強い印象を残し、性的描写の過激さも話題を呼ぶほどだ。
ストーリーは、田舎のパチンコ店で働く42歳の男性が結婚相手を必死に探すところから始まる。好きだった職場の女性に振られ、落ち込みは深まる一方。勢い余ってフィリピンで妻を見つけて実家に連れてきてしまうのだが、連れて来られたアイリーンは天真爛漫で可愛らしい反面、母親の木野花の古風で差別的な価値観と衝突する。
普通の恋愛映画ならアイリーンが周囲に馴染む展開になりそうなものの、本作はそんな優しい筋書きには収まらない。結婚後も男は女とSEXに執着し、母親は息子の幸福のためにアイリーンを追い詰めようとする。慣れない土地でアイリーンを取り巻く金銭問題や偏見、欲望、家族愛といったさまざまな感情が絡み合い、物語はどんどん泥臭く、悲劇へと傾いていく。
この設定だけでも興味を引くが、それを土台にしてこうほど人間臭く、クセの強いドラマが作られるとは予想外だった。原作はマンガ風にも見えるが、吉田恵輔監督の独自性が全編に宿る力作である。吉田監督の作風が好きな人には特におすすめできる作品だ。
エンドロールで流れる曲も素晴らしく、奇妙礼太郎さんの楽曲が余韻を深めてくれる。
自分から他者へ向ける愛の向きとその大きさは、あえて言えば唯一無二だ。人間が生物として持つ普遍的な性質であり、それらは数珠繋ぎのように連なって関係を形づくる。
フィリピン人との国際結婚をテーマにした映画を見るのは初めてだった。
アイリーンと姑が言葉が通じないと思って激しく言い合うシーンがとても面白かった。
役者の枠を超え、「人間の果て」の表情を見せてくれる吉田恵輔。安田顕については、触れられないほどのモンスターぶりに思わず笑ってしまう。下品で卑猥、バイオレンスな要素が満載だけれど、ラストには泣きそうになってしまう。これが吉田恵輔作品の魅力だ。感情のジェットコースター。吉田恵輔の手によって、人間はこんな表情や動きができるものなのか。車に轢かれた後の雄叫びは、一生忘れられないだろう。